太宰治亲という二字.docxVIP

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  • 2023-12-20 发布于上海
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親という二字太宰治

親(おや)という二字と無筆の親は言い。この川柳(せんりゅう)は、あわれである。

「どこへ行って、何をするにしても、親という二字だけは忘れないでくれよ。」

「チャンや。親という字は一字だよ。」

「うんまあ、仮りに一字が三字であってもさ。」この教訓は、駄目である。

しかし私は、いま、ここで柳多留(やなぎだる)の解説を試みようとしているのではない。実は、こないだ或(あ)る無筆の親に逢(あ)い、こんな川柳などを、ふっと思い出したというだけの事なのである。

罹災(りさい)したおかたには皆おぼえがある筈(はず)だが、罹災をすると、へんに郵便局へ行く用事が多くなるものである。私が二度も罹災して、とうとう津軽の兄の家へ逃げ込んで居候(いそうろう)という身分になったのであるが、簡易保険だの債券売却だのの用事でちょいちょい郵便局に出向き、また、ほどなく私は、仙台の新聞に「パンドラの匣(はこ)」という題の失恋小説を連載する事になって、その原稿発送やら、電報の打合せやらで、いっそう郵便局へ行く度数が頻繁(ひんぱん)になった。

れいの無筆の親と知合いになったのは、その郵便局のベンチに於(お)いて

である。

郵便局は、いつもなかなか混んでいる。私はベンチに腰かけて、私の順番を待っている。

「ちょっと、旦那(だんな)、書いてくれや。」

おどおどして、そうして、どこかずるそうな、顔もからだもひ

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