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第11章 土佐日记.ppt
第11章 土佐日記 『日本文学史』高鹏飞 平山崇 著 作者 作者は紀貫之(?~945?) 36歌仙の一人で、学者でもある。 『古今集』撰者の中心的存在で「仮名序」を執筆した。 歌風は理知的、技巧的かつ流麗な調べである。 成立?内容 『土佐日記』は935年に成立した。 紀貫之が土佐から京都までの55日間をつづった旅日記である。 自分を女性に仮託して記している。 日記の内容------- 送別の様子、船内人々の言動、すぐれた自然の 姿、航海への不安?恐怖のほか、京への憧れ、諧 謔、人間批評、和歌の評論など。 しかし中心は任期中、土佐国で亡くした一人娘への哀慕である。 和歌は57首が詠まれている。 当時の日記 ①書く人---男性 ②内容--- 公的:宮廷の行事や儀式の「備忘録」 私的:貴族が自分の子孫に、宮廷の 行事などを伝える。 ③文体---漢文(男性は仮名文字は和歌以外使わないのが普通だった) 紀貫之の直面した問題点 1.漢文では、細やかな感情を書けない。 2.仮名で日記を書きたいが、男性は仮名を使わないという慣習がある。 これを解決するために、紀貫之は、自分を女性に仮託して仮名で日記を書いた。 特色 『土佐日記』は日記文学という新しいジャンルを切り開いた。 文章は簡潔、平明で、洒脱の趣をもち、和文脈に漢文体も生かされている。 『土佐日記』で示された仮名散文は、のちの女流文学の開花にも大きく関わっていった。 冒頭文 男もすなる日記といふものを、女もしてみむとてするなり。それの年の師走の二十日あまり一日の日の、戌の時に門出す。そのよし、いささかにものに書きつく。 (訳:男が書く日記というものを、女の私も書いてみようと思う。ある年の12月21日午後8時、出発した。これから旅の様子を書いていこう。) 引用???第4日目 四日。楫取り、「今日、風雲の気色はなはだ悪し。」と言ひて、船いださずなりぬ。しかれども、ひねもすに波風立たず。この楫取りは、日もえはからぬかたゐなりけり。この泊りの浜には、くさぐさのうるはしき貝、石など多かり。かかれば、ただ昔の人をのみ恋ひつつ、船なる人の詠める、 寄する波 うちも寄せなむ わが恋ふる人 忘れ貝下りて拾はむ と言へれば、在る人の堪へずして、船の心やりに詠める、 忘れ貝 拾ひしもせじ 白玉を 恋ふるをだに もかたみと思はむ となむ言へる。女子のためには、親幼くなりぬべし。「玉ならずもありけむを。」と人言はむや。されども、「死じ子、顔よかりき。」といふやうもあり。なほ、同じ所に、日を経ることを嘆きて、ある女の詠める歌、 手をひてて 寒さも知らぬ 泉にぞ くむとはなしに 日ごろ経にける。 引用???第4日目の訳 4日。舵取りが「今日の風や雲は航海には適さない」と言って、船を出さないことにした。しかし一日中波風が立たないではないか。この舵取りは天候も読めない馬鹿だ。この港の浜辺には美しい貝や石が多い。それで、昔の恋人をひたすら思い、船にいる人が詠んだ歌は、 浜辺に打ち寄せる波よ。恋しい人を忘れるという忘れ貝を 打ち寄せてくれないか。そうしたら私は船から下りてその忘 れ貝を拾うから。 と詠んだので、ある人が堪えられなくなって、気晴らしに詠んだ歌は、 忘れ貝を拾ったりはしない。白玉のように可愛らしいあの 子を思う気持ちだけでも、あの子の形見としたいから。) 文学史?日記文学――中古 ●『蜻蛉日記』??????作者は藤原道綱母。上?中?下の三巻からなり、最初の女流日記文学である。一夫多妻制における妻の悲しみや苦渋を率直につづる。『竹取物語』、『伊勢物語』と違う視点で描かれ、貴族社会の男女恋物語への否定的立場から、作者の人生の真実を追求している。 ●『和泉式部日記』??????作者は和泉式部。敦道親王との10か月の恋愛を歌を交えて物語風に記したものである。 ●『紫式部日記』??????作者は紫式部。華やかな宮廷生活を克明に描くと同時に、自己の内面にも鋭く言及して、人間観察の深さが光る。芸術上の諸問題を論じる文章や、娘の賢子に書き与えたものを交えていて、日記というより随筆に近い。 ●『更級日記』??????作者は菅原孝標女。晩年を迎え、夫との死別を機に、自己の人生を振り返り記述したものである。冒頭部分は上総(かずさ)から京都への道中を描く紀行文になっている。その後は都での40年間の生活が描かれる。 文学史?日記文学――中世 ●『建春門院中納言日記』??????作者は藤原俊成の娘。平滋子、建春門院に女房として出仕したときの回想日記で、平家全盛期から1219年までの約50年を描いたものである。『たまき
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