淵ノ上英樹「平和モニュメントと復興」-hiroshimauniversity.docVIP

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  • 2016-11-26 发布于天津
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淵ノ上英樹「平和モニュメントと復興」-hiroshimauniversity.doc

淵ノ上英樹「平和モニュメントと復興」-hiroshimauniversity

平和モニュメントと復興 淵ノ上英樹 (広島大学大学院国際協力研究科研究員) はじめに 1949年8月6日、広島市において「広島平和記念都市建設法」が施行された。広島市の戦後の平和構築におけるこの法律の重要性は篠田(2007b)などでも論じられている。この法律の中で謳われている「平和記念都市(Peace Memorial City)」という名称は、広島市が一都市として世界で初めて冠した公称である。法案を作成した広島選出参議院議員?寺光忠は、「『平和記念都市』とは『恒久の平和を象徴する都市』という意味である。この意味においては『平和都市』とだけ言ったほうが、理論的には良かったのである。ひるがえって「記念」という語は、正しくは『象徴』という語に置き換えられて、『平和象徴都市』とせられるべきものであったのである」と後に述べている(寺光 1949, p.14)。この法律の指針に沿って建設された平和記念公園(Peace Memorial Park)や平和記念資料館(Peace Memorial Museum)、原爆ドーム(Genbaku Dome or A-Bomb Dome)などは、この定義を当てはめれば、「広島市にある恒久の平和を象徴する施設」ということになる。本稿では、このような施設のことを平和記念施設と呼ぶことにする。 本稿の目的は、平和記念施設が、人々にいかなる影響を与え

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