竹原城-komazawa.doc

松岡 進 ①青森県五所川原市前田野目 ②六九/一〇 ③『五所川原市史』通史編1(一九八八) ④浪岡  小規模ながら、丘陵の端に横堀を回して独立させた遺構がよく残る。主郭1の南西端は壁が甘く、この部分を出入りしたものであろうか。その外の曲輪2との間は、堀切が貫通していたものと考えられる。  2は全体としても虎口曲輪的な性格と見られるが、南側に土塁を設け、その直下の南西端を一段掘り込んで、ここから堀の対岸に低い土橋(橋台か)をかけている。虎口の遺構と見てよいであろう。  外周をめぐる堀の外側には低い土塁が盛られ、南東部のコーナーでは浅い堀がさらに外側に設けられている。しかし、丘陵の上面をかなり余して占地しているため、外との比高差は少ない。同じレベルで続く丘陵の先端部を放置しているのも疑問である。  館主に関する伝承はなく、地元には「寺屋敷」の称と、その後この寺院が弘前に移転したという伝えがある。主郭の試掘調査では、建物跡らしい柱穴はほとんど検出されず、遺物も銭貨二枚しか出土しなかったため、通常の寺院と考えるのもむずかしいが、奥羽で広く多様な性格の遺跡が「館」と呼ばれたことを踏まえて理解すべきであろう。 一ツ森館 松岡 進 ①秋田県鹿角市花輪 ②一五五/一五 ③鹿角市教育委員会『鹿角の館』(5)(一九八六) ④花輪  鹿角地域に多い「群郭式」の典型的なプランであるが、注意すると一定の

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