花のき村と盗人たち.pptVIP

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  • 2016-12-28 发布于江苏
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花のき村と盗人たち 李娜 咸敬龄 金燕 金伟 金战君 新美南吉(にいみなんきち) 背景 南吉の第三童話集のタイトルにもなった「花のき村と盗人たち」は昭和17年5月に書かれたといわれている。死の10ヵ月前にあたるこの時期の作品には、平和な農村を舞台に人間の善性を謳う物語が多いのですが、「花のき村と盗人たち」はその代表的な存在である。 あらすじ 花のき村に5人の盗人がやってきた。彼らのかしらは以前から盗みを重ねていた本当の盗人であったが、ほかの4人は盗人になりたての者であった。かしらは弟子達に村の下見を命じ、土手に座って一服していた。しかし根が善良な弟子たちは、それぞれ大工や鋳掛屋、角兵衛獅子、錠前屋など以前に就いていた職人としてのくせや根性が出てしまう。村に入っても金持ちの屋敷の建築の見事さに見入ったり、老人の奏でる笛に聞きほれたり、壊れた釜の修理を請け負ってしまうなど、盗人としてはまるで役立たない。一方、かしらの目の前には子牛を連れた少年が現れた。少年は初めて出会うはずのかしらに気安く子牛を預けると、そのまま遊びにいってしまった。盗人として周囲から忌み嫌われていたかしらは、初めて人から信用された嬉しさに、思わず涙を流してしまう。しかし、牛を預けた少年はいつまでたっても帰ってこない。 やがて弟子達が戻ってくる。こんどこそ「盗人根性」にのっとって盗みに入れそうな家を見つけてきたと意気込む弟子達は、かしらが連れていた子牛を見て、「俺たちが戻る前に一仕事しましたね」と褒める。しかしかしらは子どものことが気になって仕方が無い。さっきまで弟子に説いていた盗人根性のことも忘れ、驚く弟子とともに少年を探しに行くのだが、見つからない。仕方が無いので、子牛を村役場に届けることにした。村役人もこの盗人たちを信用し、酒などをご馳走などをしてくれた。善良な人々に歓待された盗人は、嬉しさのあまり自分が盗人であることを白状してしまう。そして弟子ともども、これからは真面目に生きていくことを誓うのだった。牛を預けて消えてしまった少年は、実はお地蔵様であった。 花のきの由来 南吉が童話に描いた村といえば、多くの場合は故郷である岩滑や岩滑新田なのですが、この作品の場合、徹底して善人ばかりが暮らす村でなくてはいけないために「花のき村」という架空のユートピアをつくり、そこを舞台としています。しかし、じつは「はなのき」という地名は、南吉が女学校の教諭として過ごした安城に「花ノ木町」として実在するのです。おそらく南吉は、そのいかにも豊かで平和な村を連想させる語感が気に入ったのでしょう。ただ、東京から帰郷したのち職を転々として苦労の多かった南吉にとって、安城は彼を温かく迎え入れてくれた町でしたから、その安城の地名を自らの作品のなかに留めておきたい、と思ったかもしれません。 * * 1913(大正2)年、愛知県半田町(現?半田市)生まれ。 *

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