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勝田守一の教育思想史的研究序説(上).pdfVIP

勝田守一の教育思想史的研究序説(上).pdf

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勝田守一の教育思想史的研究序説(上)

135 論 文 Ⅰ)はじめに 本稿で考察の対象とする勝田守一(1908 - 1969)は,1932 年京都帝国大学文学部哲学科 卒業後(西洋哲学史専攻),1934 年9月から 1942 年 10 月まで旧制松本高等学校の哲学の教 師であった。その後,1942 年 11 月から文部省図書監修官となり,敗戦を迎えた。戦後,公 民教育刷新委員会世話人,教科書局社会科主任などを歴任して,1949 年4月文部省を依願 退職,学習院大学文政学部哲学科の専任教員となるが,2年後の4月東京大学教育学部に赴 任,以後定年退職まで勤めることとなる。 1969 年7月 30 日,退職後まもない勝田は惜しまれつつ亡くなった。行年 60 歳であった。 死の前年,戦後の教育運動における同志の一人であった社会学者日高六郎との対談に臨んだ 勝田は,自らの教育と教育学への関わりについて,次のように述べていた。 「私が教育に関心を意識的に持ち出したのは戦後なんです。それにはそれなりの理由 があったのです。個人的なことになりますが,私は戦前は旧制高校の哲学の教師だった。 やはり戦争を通して,いろいろな意味で,自分の学問のあり方の破産を感じたわけです ね。哲学という学問は,ふつうの意味では,検証できない学問ですが,自分の思想なり メソードなりを,ある意味で検証できるのは,それが教育という場に,どれだけ具体化 されるか,そこにあるのではないか。私は,デューイという学者は,そういう経験を自 分のなかに持ったんではないかという気がしますね。だから私は,けっして転換という か,分野を変えたという気持ちは一つもなくて,教育の問題に関心を深めるようになっ た。それにはほかの事情もありましたが。その点からいっても,教育学を勉強すること と,教育によって人間を形成し直していくというか,日本の国民の人間形成ですね,そ れに責任をもっていくということ,その二つを,そもそもの最初から,背負いこまされ ていたという気がするのです1)。」 ここで述べられている,勝田が背負った「二重の課題」,教育学研究と歴史的課題として の日本国民の形成という課題は,もちろん戦後になって明確に自覚され表現されたものでは あるが,戦中における勝田の思想的営為の中にこれらの課題が胚胎していたことを無視す 勝田守一の教育思想史的研究序説(上) ―「哲学」と「教育学」との間― 横 畑 知 己 東経大学会誌人文自然科学135_P135-144_横畑.indd 135 14.2.27 2:23:03 PM 136 勝田守一の教育思想史的研究序説(上) ることはできない。「敗戦」をはさんでのこの時代に,勝田は,教師としてあるいは文部省 の中でどのような生活を送ったのか,それとの関連でいかなる思想的営みを行っていたのか。 そのことを明らかにすることが,本稿の課題である。 学者?思想家としての勝田の全体像を明らかにすることが,筆者の最終的な目標であるが, 本稿では,勝田が自他ともに教育学者として認められる分岐点となったと思われる 1951 年 を一つの画期として位置づけ,それ以前の思想形成の過程を明らかにしてみたい。東京大学 教育学部に着任した勝田は,同年 11 月に日光で開催された第1回の日本教職員組合教育研 究大会の講師兼世話人となった。また同じ月に復刊された雑誌『教育』の初代編集長をも引 き受けている。そしてこの年,教育に関するはじめての単行本として『平和と教育』を公刊 した。本書には,教育研究の道を選択した勝田の抱負がよく現れている。 「序にかえて」の中で勝田は,次のように述べていた。 「時々の問題について,考えをのべるに当って,私の意図した第一の目的は,日本の 再建という一線であった。そこから,私は日本の生活の改造という重大な問題に取り組 む教育の仕事を見出した。私のいう日本の再建は強大な日本帝国の復活とはまったく縁 がない。最大多数の国民,つまりは働く日本人が,自己の運命を自己の意志と手で切り 開く可能性を,その生活の中に実現できる社会をつくりあげることを意味している。そ のためには,私は私たちを不幸にして来たいろいろなきずなを断ち切らなければならな いけれども,その一つとして,日本人の国民性の改造という課題を取りあげなければな らないと考えた。そして,この国民性の改造を次代の人々の教育に托すことが教育の仕 事だと思い続けて来たのである。 ただ私は,それをひとごとのように扱うことには堪えられないし,私たちの仕事が 実を結ぶためには,結局私たちの自己批判を通過しなければならないことも明らかだ。 もし,私にあやまりがあれば,それは,自己批判の不足なのではないかと私は恐れてい る2)。」   本稿は,勝田守一の教

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