生存权福田德三.doc

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PAGE  PAGE 12 生存権:福田徳三?左右田喜一郎 目次 福田徳三『生存権の社会政策』(大正五年、編者?赤松要、黎明書房、昭和二三年) 左右田喜一郎「価値哲学より観たる生存権論」(大正七年) 『左右田喜一郎全集 巻第三』(岩波書店、昭和五年) 福田徳三『厚生経済』(講談社学術文庫、昭和55年) 福田徳三『生存権の社会政策』(大正五年、編者?赤松要、黎明書房、昭和二三年) 左右田喜一郎「経済政策の帰趣」(大正四年、社会政策学会第九回大会講演)『経済哲学の諸問題』:「此の場合に近来最も進歩したる社会政策の論者が説く所の所謂生存権と言うものを以って――我国に於ては近時福田博士が盛んに唱道せられて居ります――社会政策のSollenとしての内容を説くものと解釈し得るとすれば明かに此の先天的条件に内容的制約を許??んとするものであって、私は反対せざるを得ない」。 「三 生存権概論」 「生存権の理論は、労働権?労働全収権の理論と共に社会政策並に社会主義上の三大理論と認む可きものにして、アントン?メンガーの説によれば、此の三権は所謂社会権にして、現今の私法にて理解する意味と異なる意味に於て人類社会の根本的権利『グルンド?レヒテ』と看做す可きものなりと云う。而して此の三大権を系統的学術的に研究し、社会思想発達史上に於ける其の本義を闡明したるは、実にアントン?メンガー其の人なりとす。然れども此の理論及び思想は、決してメンガーの創案にかかるものにあらず、既に久しき前より或は明瞭に或は漠然と唱道せられ来りしものして、凡そ一切の社会思想の発達は、此の三権を出立点とし之を観察するにあらざれば、其の実相を得難きものなりと云うも大過なし。唯経済学?経済史の慣例に於ては社会思想を見るに、常に救済法若しくは反対論の立場よりするが故に、表面上の考察に詳しくて其の根底に横る思潮の大勢に疎なるの感あり。アントン?メンガーの如く法理哲学の根拠の上に立ちて全体を達観する人にありて、始めて系統ある研究に着手するを得たり。」(149-150) 「救貧の制度?孤児保育?老廃救護の設備並に各種の社会保険の制度……此等の施設の漸く盛となるや、茲に生存権の理論は学理上の要求として起らんとしつつあり。近く英国の養老年金制度定るや、学者深遠透徹の研究に潜心する者にありては、之を以て社会権の思想漸く起るの徴となせる者あり、……是れやがて最も進歩せる思想を道破せるものにして、予は全然論者の説を敬仰するものなり。近来シドニー?ウェッブ夫妻が唱道する『国民最低限の説』Principle of national minimumも、亦根底に於て其帰著を一にするものと云う可し。……  之を要するに労働に其産物を十分に且つ正当に認む可しとの主張は、労働全収権の理論を生じ、欲望に十分且合理的なる充足を確保す可しとの要求は、生存権の理論を起こせり。而して其の過渡的産物として、先づ国民の各員に労働することを得さしめよとの要求は労働権の理論を生じたるものなり。而して今日迄は社会政策と法理学は唯羅馬法的思想にのみ囚はれて其の研究を怠りたるが為め、此等三理論は専ら社会主義の理論に於て発達し来りたりと雖も、現存の私法制度の根底に接触する事なくして、少くも生存権の理論は立て得可きものなるを、始めて有力に主張すたるは、実にアントン?メンガー其人なりとす。」(158-159) 「近世国家は生産消費の自由を原則として認む、換言すれば、国民は生存の全責任を自ら担うものと看做さる。封建時代にあっては、君侯は其の臣下の身命と忠節を担保として其の生存を保障し、都市にありては『ギルド』の制度は其の部員に営業の保障を与えたり。近世国家の営業自由の原則は根底より此の保障を覆へし、各人は生存の危険を一身に担うこととせり。近世国家の主として保護する所は財産と身体の安全なりと雖も、此の財産を獲得するに就いては何の保護も保障も提供せず、又身体の安全を図るは他人の侵害に対してのみ実行せられ、抑身体の維持を図る可き方法に就いては何の保障も与へず。他人が暴力を以て之を侵害するは之を禦ぐも、飢餓が其の絶大の力を以て之を脅かすに対しては之を防ぐの道を設けざるなり。一言を以て之を言へば、近世国家の与ふる保護保障は既に存するものに限り、まさに生ぜんとするものに及ばず。我れに身体あり我れに財産あり、財産の所得を以て能く我身体を養ふ事を得、然る場合には国家は其一切の法制を以て、此財産と此身体とが他人によりて侵さるる事なき懇篤なる保護を与ふ。其反対に我れに財産なく従て我身体を支ふるに足る資料を欠く時は、我れ飢餓のために倒るるも国家の当然干渉する所にあらず。されば国家の保護は既に財産の存する所に就いて財産と其の報酬を目的とするのみ、労働と其の産

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