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室町時代の食文化考―飲食の嗜好と旬の成立
131
室町時代の食文化考 ―飲食の嗜好と旬の成立
伊藤 信博
1.はじめに
この論文では、文学、歴史、美術史などを含めた総合研究を踏まえ、
室町人の食の嗜好を古記録、絵巻や文学作品から抽出し、中世初期に
は、儀式の中に背景として位置付けられていた食から、「文化の担い手
としての食」への過程を明らかにすることを目指した。さらに、室町
後半から江戸初期などの料理本との比較などから、調理法、保存食、
食文化史の複合的研究を行い、江戸文化において、「食」の位置が上昇
する理由を明らかにしようと試みた。なお、この研究は 2012 年から
2013 年にかけて、浦上財団から受けた助成によって行われており、こ
の論文は、財団への報告書を加筆、修正したものである。
2.飢饉対策からみた室町時代の食事情
室町時代の飢饉の例として挙げられるのは、応永の大飢饉である。
応永の大飢饉は、古記録によると、応永二十六年( 1420)には、「天下
大飢饉」(『天地根元歴代図』、「天下大旱、大飢」(『文正年代記』)、と
凶作が広がり、さらに翌年も、「夏、大干魃」(『南方紀伝下』)、「天下
飢饉」(『看聞日記』)と記され、この年には「祈雨奉幣」が諸所の神社
で行われたことが記されている。
1を参考に、応永二十四年(1417)以
『日本中世気象災害史年表稿』
降の災害記録をみると、応永二十四年、二十五年には、畿内では降雨
の祈祷記録や旱魃の記録、関東では、飢饉の記録、そして洪水の記録
がある。応永二十六年は、上述したような旱魃の記録もあるが、八月
に京都で大洪水の他、「止雨奉幣使」(『看聞日記』)の記録、関東でも
洪水、九月には山城で、洪水、十月には、関東で洪水の記録を記す。
その翌年の応永二十七年には、大飢饉が四月から七月にかけての旱
魃によってもたらされるのである。ところが、追い討ちをかけるよう
に、八月以降は鎌倉、常陸、京都、陸奥と洪水記録が記され、翌年の
応永二十八年には、全国での旱魃と疫病の流行が連記されている。
『看聞日記』応永二十八年二月十八日の条は、「(前略)去年病悩本
復被果立願云々、抑去年炎旱飢饉之間、諸国貧人上洛、乞食充満、餓
死者不知数、路頭ニ臥云々、仍自公方被仰、諸大名五条河原ニ立仮屋、
132 伊藤 信博
引施行、受食酔死者又千万云々、今春又疫病興盛、万人死至云々、天
竜寺・相国寺引施行、貧人群集云々(後略)」と記し、幕府が五条河原
に仮小屋を立て、周縁の国々から飢饉のため上洛してきた難民を収容
し、食物の施しをするが、急に食べたのが原因であろうか、食べた施
しで死者が多数出たり2、衰弱した人々の間には、疫病が広がったりし
ていた事実が分かる。天竜寺や相国寺の食物の施しにも多くの難民が
集まっている。また、京の人々も「食物なくして、すでに餓死に及ぶ」
(『東寺廿一口供僧方評定引付』)、「洛中の人家衰微す」(『蔭涼軒日録』)
などの災害に襲われている。
ところで、古記録からみる『日本中世気象災害史年表稿』には、旱
による「祈雨奉幣」が多数記されているが、大雨による洪水被害に関
しては、洪水や大雨は事実のみを記し、何らかの祈願が行われたこと
は伺われない。
古代では、『続日本紀』から、雨の記録を辿ると、698 年から 791 年
のほぼ 100 年の間に、雨の記録は百二十一回に及ぶが、その内五十五
回は「祈雨」の記録であり、旱が実際に起こった事実や人々が旱を恐
れていたことが分かる。そして、「祈雨」は神社で行われたケースが普
通である。一方、儀式に際して、雨天であったとする記録が三十回、
大雨や洪水があった記録が三十六回で、この中には、そのような大雨
を鎮めるための般若心教が天下諸寺で転読された記録も多い。
また、古代から中世においての請雨儀礼には動物供犠を伴うものも
ある。『日本書紀』皇極元年(642 )七月の条 3では、雨乞いのために、
牛馬を殺している。結局雨は降らず、八月一日には、天皇自ら
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