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文人小杉放庵研究序
文人・小杉放菴研究序
─「梅花小禽」襖(出光美術館蔵)の主題をめぐって
出 光 佐千子
はじめに ―作家紹介及び問題の所在
こ す ぎ ほうあん
小杉放菴 (1881-1964)と聞いて、ご存知の方はどのくらいいらっしゃるだろうか。
放菴は、日本画の大家・横山大観と共に、岡倉天心亡き後の日本美術院を再興して、洋画・
日本画の近代化に貢献した美術史上の重要作家である。しかし、その知名度が低いのは、
帝国美術院会員を辞任するなど権力嫌いの文人肌であったことの他に、一言で語るのが難
しいほどのマルチタレントな作家活動からであろう。その多彩ぶりは、雅号を、青年洋画
み せ い
家時代の「未醒」、昭和に入って文人画も描くようになった頃の「放庵」、信州赤倉の別荘
に山居するようになってからの「放菴」と三度も変えていることからも窺われよう。
しかし、放菴自身は、60年の回顧展の前に、自らの作家人生について次のように述べ
ている。
「三十になって、どうやら世の中へ頭を出した形、それからフランスへ行って、ルーヴ
ルの見学でくたびれて頭をめぐらしては日本を思う、ありがたいことに、わしには帰るべ
きけっこうな故郷があったと気がつく、端渓の硯、乾隆の古墨、麻紙と仲良くなって、画
業は次第に東洋日本にはまって行く、人は或はこれを転向という、自分はずっと続いた一
本の道だと思う、時に大きな人物画など作りたくなった時に、油絵具とカンバスをもちい
( )
ます。」(「半世紀以上」 1 )
つまり、世間一般には、洋画から日本画へ 「転向」 したように映るが、放菴自身にとっ
ては、これは 「ずっと続いた一本の道だと思う」 と考えていた。これは具体的には何を意
味するのであろうか。
放菴は、日光山内の二荒山神社神主、小杉富三郎の子として明治14年(1881)に生ま
れた。父、富三郎は平田篤胤の流れを汲む国学者で、放菴は幼い頃より、「唐詩選」・「三
い お
体詩」・「古文真宝」 など漢詩の素読を父に教わって育った。また、十六歳で入門した五百
き ぶん さい
城文哉 (1863-1906)は、もともと水戸藩士の出身で、農商務省に勤務するかたわら、
高橋由一の塾に通って油絵を習った明治洋画の先駆者の一人であった。この師もまた、漢
学、漢詩、和歌などに優れ、書、篆刻にも造詣が深く、放菴を子供のように可愛がりなが
ら、東洋的な教養を与えてくれた。放菴は、「私は一貫して和魂洋才の教えを受けて来た。
油絵に日本的なものを表現しようと志し、或いは水墨の筆をとるようになったのも師匠の
( )
おかげによる所が大きい」(「問わるるままに」 2 )と述べている。洋画家として文展で最
高賞を二度も取り、留学資金を得てパリに留学するものの、留学中の古本屋で見つけた
9
- -
いけのたいが
池大雅 (1723-1776)の国宝 「十便帖」 の複製に 「帰るべきけっこうな故郷」 を見つけ
てしまった放菴。だが、洋行中の船の中で八犬伝や源氏物語などを始終読んでいたといわ
( )
れるように 3 、じつは、その留学前から既に、東洋的な趣味と思想を体質的に持った洋画
家であったのである。
しかしながら、洋画とも日本画とも受け取れるその多彩な表現力が持つ美術史上の問題
の深さのためか、放菴研究は、個性や自我の表現を追求した新南画の潮流の一人としての
位置づけにとどまり、文人画家としての見方、すなわち詩書画一体としての作品鑑賞ある
いは、画に込められた文学的な意味を読み取るなどの研究は、未だ途上段階にある。洋画
家ならではの的確なデッサンや構成力の陰に隠されてしまっている、放菴の文人としての
資質を、本稿では、雅号を 「放菴」 と変えてから精力的に描き始めた花鳥画の傑作「梅花
小禽」襖に読み解いてみたい。
1、時
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