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古坟时代村落と石制模造品-爱知県埋藏文化财センター
古墳時代村落と石製模造品
早野浩二
本文は、村落研究における石製模造品の学史的・今日的な研究状況における位置を確かめるもので
ある。1970 年代、村落における石製模造品は、村落祭祀の研究とも関係しつつ、観念の段階的相違、
イデオロギー統制の史的前提を示す祭祀具として扱われる傾向にあった。1980 年代、村落における
民俗的祭器としての位置も示されたが、1980 年代末年以降、村落祭祀の枠組みにおける石製模造品
の位置は必ずしも適確には示されなかった。こうした学史的経緯を踏まえ、さらに特徴的な村落や古
墳における石製模造品の存在形態を例示しつつ、石製模造品が村落祭祀に付随し、外来思想にも触発
されながら、地域開発、生産力発展を観念させる装置として機能したことを推考した。そして、石製
模造品を村落祭祀が発展し、形骸化する過程の端緒とした。
はじめに 研究の回顧
先に石製模造品について、愛知県内を対象と (1)1970年代の研究
した集成を試み、集落出土資料を中心とした編 1970 年代における代表的な研究として、原
年的考察を提示した(早野 2006)。これによっ 島礼二(原島 1971)、高橋一夫(高橋 1971・
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て集落出土の石製模造品についての個別実証的 1975)の論説がある。両者の研究は、主に関東
な側面については、一定の見通しが得られたと 地方の村落を対象として、前者が大家族別生産
思われる。一方、石製模造品の集落における保 形態、後者が家父長制的世帯共同体の成立を論
有形態の問題、例えば、かつて高橋一夫(高橋 じたものである。
1971)が提起した個別家族の自立化の問題等に 原島は、『常陸国風土記』行方郡条の一節
ついては、今後の検討課題とした。 にある箭括氏麻多智の開発伝承を手がかりと
さて、前者の側面については、各地域、各種 して、7世紀以前における開発形態や労働編
の石製模造品を対象とした研究は数多く、一定 成、大家族別支配形態の成立を論じた(原島
の研究水準に達していると思われるが、後者の 1971)。その過程で、石製模造品等の各種祭祀
側面について、その問題意識を継承しようとし 関係模造品は、支配集団のイデオロギーを反映
た研究は決して多くはない。本文は、後者の側 し、5世紀後半に深刻化していた支配形態の矛
面を論じる前提として、古墳時代村落 * におけ 盾を解消する手段として、支配集団から農業共
る石製模造品の存在形態について、研究の流れ 同体に分枝されたとした。そして、箭括氏麻多
を追い、その視角を具体的事例を通じて、今日 智のような小開発主体が夜刀の神といった自然
的な研究状況に照らすことを第一義の目的とす 神を独自に社に祭ることによって、模造祭器に
る。そして、それを踏まえて、社会構成史上、 象徴される伝統的支配イデオロギーが克服され
あるいは村落祭祀の展開過程における石製模造 たと述べている。また原島は、箭括氏麻多智の
品の位置を改めて確かめることとしたい。 ような小開発主体が6世紀の群集小古墳の被葬
* 本文中には「集落」と「村落」の語が混在するが、主と 者としてふさわしいとする。
して「村落」の語を使用し、文脈に応じて適宜、「集落」の
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