尽心章句下.docVIP

  1. 1、本文档共30页,可阅读全部内容。
  2. 2、原创力文档(book118)网站文档一经付费(服务费),不意味着购买了该文档的版权,仅供个人/单位学习、研究之用,不得用于商业用途,未经授权,严禁复制、发行、汇编、翻译或者网络传播等,侵权必究。
  3. 3、本站所有内容均由合作方或网友上传,本站不对文档的完整性、权威性及其观点立场正确性做任何保证或承诺!文档内容仅供研究参考,付费前请自行鉴别。如您付费,意味着您自己接受本站规则且自行承担风险,本站不退款、不进行额外附加服务;查看《如何避免下载的几个坑》。如果您已付费下载过本站文档,您可以点击 这里二次下载
  4. 4、如文档侵犯商业秘密、侵犯著作权、侵犯人身权等,请点击“版权申诉”(推荐),也可以打举报电话:400-050-0827(电话支持时间:9:00-18:30)。
  5. 5、该文档为VIP文档,如果想要下载,成为VIP会员后,下载免费。
  6. 6、成为VIP后,下载本文档将扣除1次下载权益。下载后,不支持退款、换文档。如有疑问请联系我们
  7. 7、成为VIP后,您将拥有八大权益,权益包括:VIP文档下载权益、阅读免打扰、文档格式转换、高级专利检索、专属身份标志、高级客服、多端互通、版权登记。
  8. 8、VIP文档为合作方或网友上传,每下载1次, 网站将根据用户上传文档的质量评分、类型等,对文档贡献者给予高额补贴、流量扶持。如果你也想贡献VIP文档。上传文档
查看更多
尽心章句下

(岩倉紙芝居館古典館http://hjueda.on.coocan.jp/koten/koten.htm 宰主 上田啓之)  凡三十八章。  孟子の曰く、不仁なるかな梁の惠王。仁者は其の愛する所を以て、其の愛せざる所に及ぼす。不仁者は其の愛せざる所を以て、其の愛する所に及ぼす。親を親しみて民を仁し、民を仁して物を愛す。所謂其の愛する所を以て、其の愛せざる所に及ぼすなり。  公孫丑が曰く、何と謂ふことぞ。梁の惠王土地の故を以て、其の民を糜爛(びらん)して之を戰はし、大きに敗る。將に之を復(また)せんとす。恐るらくは勝つこと能はずを。故に其の愛する所の子弟を驅りて以て之に殉(したが)ふ。是を之其の愛せざる所を以て、其の愛する所に及ぼすと謂ふ。梁の惠王より以下は、孟子の答辭なり。其の民を糜爛(ただれてくさる)する、之を戰鬭せしめ、其の血肉を糜爛せしむ。之を復すは、復戰ふなり。子弟は、太子申を謂ふ。土地の故を以て其の民に及ぼし、民の故を以て其の子に及ぼす、皆其の愛せざる所を以て其の愛する所に及ぼすなり。○此れは前篇の末三章の意を承けて、仁人の恩は、内より外に及び、不仁の禍は、疏より親に逮ぶを言ふ。 ■梁惠王章句に、「河内凶なれば、則ち其の民を河東に移し、其の粟を河内に移す。河東凶なるときも亦然(しか)す」とある。この土地政策の故に、民は不安定であった。更に、「王、戰を好む」ともあった。紀元前341年、馬陵の戦いにおいて魏軍は田忌?孫臏の率いる斉軍に敗れ翌年の紀元前340年に秦の商鞅に西から侵攻され、安邑を放棄している。孟子は、戦で民が疲弊している事を諫めていた。■長子の申は斉との戦で亡くなった。愛する所とは太子申、あるいは一族、重臣の子弟も含まれようか、愛せざる所は民、孟子は、恵王を訪ね、王道を説いたが、果たせず去った。結局、恵王を民を愛さぬ王とした。■公孫丑は斉人であり、孟子が斉に入ってからの門人であるなら、孟子が梁(魏)の惠王を不仁者と切り捨てたことに、一体どういうことですかと、驚いたように問ひ直したことになろうか。 ○ 孟子の曰く、春秋に義戰無し。彼此より善きは、則ち之れ有り。春秋、諸侯戰伐の事を書く每に、必ず譏貶を加へて、以て其れ擅興(せんこう、詔旨無くして勝手に兵を興す)の罪を著(あらは)す。以て義に合ふと為して之を許す者有ること無し。但に中に就きて彼此より善きは則ち之れ有り、召陵の師(斉の桓公が天子の命を奉じて天子を代行して諸侯を制したこと)の類の如き是れなり。 ■「召陵の師」と晋の文公の「践土の盟」が挙げられ、天子の命に従はない諸侯を「九伐の法」を以て制すもので、いわゆる春秋の覇者のこと。孟子は、「召陵の師」、「践土の盟」は春秋においては、まだましな方と評価が低い。  征とは上(かみ)下(しも)を伐つなり。敵國は相征せず。征は、人を正す所以なり。諸侯罪有れば、則ち天子討ちて之を正す。此れ春秋、義戰無き所以なり。 ■征は彳と正からなり、(上;天子が)行きて(下;従はぬ者を)正す。敵は匹敵の敵、匹敵する国、対等の国、諸侯の国。相争ふ関係で、相征す関係ではない。政は正と攴(たたく、戒尺)からなり、叩いて正す、から教化する、とされる。しかし、正は一(□;邑)と止からなり、邑に進撃することが原義、そこから後に納(税)を執ることが征、重圧を加えてその義務を強制することが政、つまり「勝者が正」が原義で、元来「正」には「征」、「政」の義が含まれていたとされ、説文にある「政は正なり」は、論語、顔淵篇の「政は正なり」を受けた儒家の理想論(字統)ともされる。孟子は、戦国の世の「勝てば官軍」式の正義を重ねて否定したことになる。 ○ 孟子の曰く、盡(ことごと)く書を信ぜば、則ち書無きには如かず。程子の曰く、事を載る辭、重く稱して其の實に過ぐる者有る容(べ)し。學者當に其の義を識るべきのみ。苟も辭を執るは、則ち時に或は義を害ふこと有り。書無きの愈れるに如かず。 ■紂  吾、武成に於て、二三策を取るのみ。武成は、周書の篇の名、武王紂を伐ちて、歸りて事を記す書なり。策は竹簡なり。其の二三策の言を取り、其の餘は盡く信ず可からず。程子の曰く、其れ天を奉じ暴を伐つ意、政を反し仁を施す法を取るのみ。 ■紂  仁人は天下に敵無し。至仁を以て至不仁を伐つ。而して何ぞ其の血の杵(きね)を流さん。杵は舂杵なり。或は鹵に作る楯なり。武成言く、武王紂を伐つ。紂の前徒戈を倒して、後を攻めて以て北(に)ぐ。血流れて杵漂はす。孟子言く、此れ則ち其れ信ず可からざる者、然れども書の本意は、乃ち商人自ら相殺すを謂ひ、武王之を殺すと謂ふに非ず。孟子、是の言を設くは、後世の惑いて、且つ不仁の心を長ずを懼るのみ。 ■鹵紂戈■孟子が読んだ「武成」は現存せず、以下の「武成」は戦国時代の

文档评论(0)

381697660 + 关注
实名认证
文档贡献者

该用户很懒,什么也没介绍

1亿VIP精品文档

相关文档