私担当整形外科临床実习.doc

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私担当整形外科临床実习

私が担当した整形外科臨床実習 信州大学名誉教授 寺山 和雄 信州大学整形外科への転勤と教室創設 私は昭和28(1953)年に東北大学医学部を卒業し、インターン1年間の後に主任教授故飯野三郎先生の整形外科に入局した.当時の整形外科はいわゆるマイナーで、先輩教室員が少なかった.助手席が2つ空き、昭和29年入局の6名がくじ引きで助手に任命されることになった.私はくじに当った.ただし給料は6名で分け合った.昭和30年8月に国立西多賀病院の前身である国立玉浦療養所に転出した.当時の助教授藤本憲司先生が信州大学整形外科教授に昇任されることになり、棈松紀雄先生が助教授として指名された.私はトランクと称されていた関連病院の2年間勤務ということで、昭和31年9月に信州大学助手となった. 信州大学法医学から1名、外科から1名が加わり計5名で教室創りが始まった.翌昭和32年に3名の新入局があった.私が5名の整形外科新人の現場指導役となった.同時に土曜日のポリクリも担当せざるを得なかった.入局3年目の私は教育?指導するというよりは一緒に勉強するだけであった. 臨床実習に費やした時間 信州大学には入局後5年以上経たなければ講師に任命しないという内規があった.昭和34年5月に講師になった.昭和36年までに教室員は2名増えたが、患者数も増えてきたし、研究実験も幅広くなったので、より忙しくなった.教授、助教授、講師がそれぞれ週2日ポリクリを担当した.昭和43年から47年までは大学紛争の影響で正規の入局者はなかった.無給の自主研修医は研修目的以外の診療から手を引こうという状況になった.午前中に外来?病棟診療、午後に手術という日程が組めなくなった.昭和44年7月から月、水、金の3日に外来診療を制限した.私の外来臨床実習指導は週1日となったが、病棟および手術部における学生指導は週2日に増えた.昭和46年に助教授に昇任したが、学生教育の日課には変更がなかった. 昭和55年に教授となった.病棟実習は担当できないので、月曜日と金曜日の外来で学生を指導することにした.火曜日と木曜日は手術日であり、水曜日は教授会か科長会議であった.講師になってから定年退官まで週90分の講義も担当し続けた. 患者さんの話を聞くhear 外来臨床実習の日は朝9時に外来へ行き、受付時間の早い順に3名の新患カルテを選んだ.紹介状の有無、年齢?性別の差を無視して選んだ症例を5-6名の実習学生に割り振った.第1診察室の中央に私が座った.話が混線しない程度に学生を同じ室内に分けて、患者さんの話を伺わせた.学生は廊下の患者さんを呼ばなければならないが、マイクを使わせなかった.肉声で呼ばれるほうが患者さんに優しいし、刻々と増える廊下の患者数を自覚してほしいからであった.室内に入った患者さんに「こちらの椅子におかけ下さい」と言わせるようにしたが、この一言が言えない学生も少なくなかった.家族と一緒に来診することが多いので、備え付けの椅子が足りなくなることもあった.学生は踏み台やベッドに腰を下ろして話を聞くようにした.立ったままの数人の学生に取り囲まれた患者さんへの威圧感を与えないためである.「私は臨床実習の学生○○です」と自己紹介しない限り、話を聞くことを許さなかった. 患者さんは「□□先生に何々と言われ、△△病院では何々と診断された」と言われることが多かった.側で聞いていた私は「前に診察を受けた医師のご意見よりも、患者さん自身が感じている症状や不都合を中心にお話しください」と助言した.整形外科では日常動作の不自由を確かめることが重要であるが、内科を中心とした実習を終わったばかりの学生には日常動作について聞く習慣は身に付いていなかった.平屋住まいか二階住まいか、何人暮らしであるか、どんな仕事をしているかという生活背景を聞くように指導した.当初の問診では家族歴を聞く必要はなく、ある程度の人間関係rapportが形成された後に確かめるべきものと教えた. 中央放射線部には続々と撮影待ち患者がたまっていくので、問診は15-20分間を限度とした.患者さんから聞いた話を私に報告させ、X線撮影が必要か、必要ならどの部位を撮影するかを問うた.学生は与えられたX線写真をみるだけであって、X線撮影依頼の大切さを知らなかった.本来なら身体所見を診てからX線撮影を依頼すべきであるが、遅れるとより待たされてしまうので、先に依頼することにした.依頼書を渡された患者さんはどこへ行けばよいかが分からなかったので、学生に案内させた.よく知らない学生もいた.教授の前でかたくなっていた学生が、案内の途中で問診の不足なところを気軽に聞き足すこともできたし、患者さんの歩き方も診ることができた.放射線部の表示不明瞭な依頼書受付窓口を見つけ、案内し終わった

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