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剧文学の展开第一部分
* 劇文学の展開 担当教員:李俄憲 劇文学の展開を略述するにあたり、あらかじめ、劇文学について説明しておく必要がある。劇文学とは、普通、戯曲とか脚本とか台本とかよばれ、俳優?劇場?観客と共に劇の一要素をなすものと、まず規定される。俳優によって舞台上に表現される劇の内容を、せりふを主として、必要に応じ演出?演技?あるいは、装置?音楽?照明に関する指定を加えて、文字によって表したもので、上演されることを最終の目的として製作されている。 一方、劇文学は、散文?韻文などと並ぶ独立して一箇の文学作品として、それだけで、鑑賞に耐えうるものでなければならない。この一見矛盾した二つの傾向、演劇性と文学性という二重の性質を一箇の作品中に併有するのが劇文学である。 さて、この劇文学の二重性は、劇文学の対象規定と価値評価の二つの場合に当然考慮されなければならない根本の原理となる。演劇史は常に戯曲史に先行する。 演劇的な身体行動は人類の発生と共に古いが、戯曲史は、演劇の台本が生まれ、それが文字に記しとめられることを必要とするからである。ことに、俳優の演技を重んじ、脚本を軽んじる傾向にある日本の演劇にあって、演劇の歴史はすでに上代に始まっているのに対し、戯曲らしきものが登場してくるのは、中世の延年舞曲までまたねばならない。 しかも、演劇性のほかに文学性をも併有しなければならないとする劇文学の性格規定に従えば、簡単なせりふとト書きをもった覚え書き程度の延年舞曲の台本もまた省かれて、劇文学の始まりは、中世も中途を過ぎた謡曲まで下げねばならないことになる。日本の劇文学の展開は、かくて、一三世紀と一四世紀の境に観阿弥?世阿弥父子によって完成された能楽の台本の謡曲から始まることになる。 また、劇文学の内包する一方の演劇性は、外面的、行動的、感性的なものをめざし、文学性は、内面的、思想的、言語的なものを志向し、この両傾向は一見相反するかのような印象を与える。しかし、優れた劇文学の本質はこの両傾向のバランスと融合の中にこそ求められるべきであり、一方にかたよった作品には高い評価を与えられないことになる。 われわれが中世の世阿弥の謡曲や近世の近松の浄瑠璃に日本の劇文学の最高の達成を認めるのも、これらの作品が、文学性と演劇性の両面を兼ね備え、しかも渾然と融合した劇文学個有の本質を表現しているからであり、近代の小説家の習作したレーゼードラマ(読み物用の劇曲)や、幕末の二流、三流の狂言作者の歌舞伎台本に優れた価値を認めず、 場合によると劇文学の範疇からはずしてしまうのは、前者が本質的には小説や詩であり、後者は芝居の上演台本にとどまって、文学性の存在が感得されないからである。 劇文学の展開を概観するに先立ち、それ以前の日本演劇の歴史にざっと目を通しておこう。能狂言発生までの日本演劇の歴史は、固有のものが外来のものに圧倒され、その外来のものの優勢の中から固有のものが再度台頭する繰り返しの歴史といえよう。日本演劇における固有のものの存在とはすでに上代に認められる。 「古事記」や「日本書紀」に記する天石屋戸(あめのいわやと)の天宇受売命(あめのうずめのみこと)の舞踏や、海幸山幸の伝説に登場する火蘭降命(ほうせりのみこと)の滑稽な模倣動作は、古代の日本の演劇行為の存在を証明するものであり、宮廷の大歌所が管理した諸国の風俗歌?催馬楽(さいばら)?神楽?内教坊で演奏した五節舞(ごせちのまい)?田舞(たまい)?倭舞(やまとまい)なども、中央集権の確立にともなって、各地の部落?氏族の服属の情と朝廷の権威を示すために中央に集められた民族芸能もであったと考えられる。 しかし、地方の民衆の生活と結びついて新鮮な土の香を放っていた民族芸能も、朝廷によって中央に集められ、再編集されて儀式化?単一化され、その本来の生命を失っていった。 こうして形骸化したわが国固有の歌舞芸能に代わって、七世紀の初めに、大陸から伎楽が渡来する。東南アジア?インド?西域地方の楽舞が中国南部の呉国に伝わり、呉国を経て日本に伝来した伎楽は、当時、仏教国家建設の理想にもえて国家の経綸にあたっていた聖徳太子によって寺院の式楽と定められ、国家が設けた伝習所によって保護と育成を加えられた。 今は滅んでしまった伎楽は、後の「教訓抄」その他によれば、笛?三鼓(くれのつづみ)?銅拍子などを伴奏に用いた行道と、簡単な身振りを主にした滑稽寸劇からなり、仮面を用いていた。 この伎楽渡来より半世紀ほどおくれ、一〇世紀の中葉ごろ、朝鮮?満州?中国?インドなどから楽舞が渡来し、我が国固有の楽舞と組み合わされ、舞楽が創り上げられる。その音楽は雅楽とよばれた。舞楽の渡来に際し、我が国人は、神楽?倭舞?東遊?久米舞?五節舞など固有の楽舞にも再整理を施し、
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