- 1、原创力文档(book118)网站文档一经付费(服务费),不意味着购买了该文档的版权,仅供个人/单位学习、研究之用,不得用于商业用途,未经授权,严禁复制、发行、汇编、翻译或者网络传播等,侵权必究。。
- 2、本站所有内容均由合作方或网友上传,本站不对文档的完整性、权威性及其观点立场正确性做任何保证或承诺!文档内容仅供研究参考,付费前请自行鉴别。如您付费,意味着您自己接受本站规则且自行承担风险,本站不退款、不进行额外附加服务;查看《如何避免下载的几个坑》。如果您已付费下载过本站文档,您可以点击 这里二次下载。
- 3、如文档侵犯商业秘密、侵犯著作权、侵犯人身权等,请点击“版权申诉”(推荐),也可以打举报电话:400-050-0827(电话支持时间:9:00-18:30)。
- 4、该文档为VIP文档,如果想要下载,成为VIP会员后,下载免费。
- 5、成为VIP后,下载本文档将扣除1次下载权益。下载后,不支持退款、换文档。如有疑问请联系我们。
- 6、成为VIP后,您将拥有八大权益,权益包括:VIP文档下载权益、阅读免打扰、文档格式转换、高级专利检索、专属身份标志、高级客服、多端互通、版权登记。
- 7、VIP文档为合作方或网友上传,每下载1次, 网站将根据用户上传文档的质量评分、类型等,对文档贡献者给予高额补贴、流量扶持。如果你也想贡献VIP文档。上传文档
查看更多
那須扇状地の地形条件
薂袀肂莆蚅肅莁蒅螇艿螈袀螄薆罿薆薅薁螅芃螃罿芀膆螇艿螈袀螄薆罿薆薅薁螅芃螃罿芀膆螇艿螈袀螄薆罿薆薅薁螅芃螃罿芀膆螇艿
水文学野外実験A配布資料
那須扇状地の概要
1. 那須扇状地の地形条件
那須野原、あるいは那須野ヶ原とよばれる那須扇状地は栃木県北部に位置し、面積はおよそ400 km2におよぶ。海抜標高は扇頂部の560 mから扇端部の120 mの範囲にあり、北西から南東に向けて傾斜している。扇状地といっても、複数の河川によって形成された複合扇状地であるため、扇頂を要とする単純な扇形ではなく、扇端で閉じる紡錘形あるいは砲弾型に近い形状をもつ。扇頂部にあたる北西縁は下野山地(帝釈山地)に接し、その境界に関谷構造線が走る。北東縁と東縁には北方の那須火山に源を発する那珂川が南流しており、それぞれ高久丘陵(白河丘陵)と八溝山地に境を接している。一方、西縁および南西縁は喜連川丘陵(塩那丘陵)と接し、その境界を西方の高原火山に源流をもつ箒川が流れ、扇端部において那珂川と合流する。那珂川?箒川の中間には蛇尾川?熊川など幾つかの河川が存在するが、扇央部で伏流し、水無川となっている。これらの河川と平行して分離丘陵が数列、扇央から扇端にかけて分布している。
2. 那須扇状地の形成過程と水文地質構造
古第三紀漸新世(3600万年前~2500万年前):大規模な地殻変動により、那須野原を含む栃木県の大部分が海面下に沈降。
新第三紀中新世(2500万年前~1300万年前):活発化した火山活動にともなう火砕岩屑が海底に堆積し、緑色凝灰岩が広範囲に形成。これが那須扇状地の基盤をなす。
新第三紀鮮新世(1300万年前~170万年前):隆起運動によって陸化。緑色凝灰岩は侵食され、河谷が形成。
第四紀更新世中期(100~10万年前頃):間氷期の海進により関東平野南部に古東京湾が形成。この時、栃木県北部は海面下にないが、広範囲にわたり湖水域が形成され、境林礫層(柳林礫層)、続いてその上位に館の川火砕岩層(高原累層)が堆積した(両層を合わせて川崎層群と呼ぶが、年代的には南関東の成田層群に相当する)。那須扇状地の分離丘陵(権現山面)や南隣の喜連川丘陵はこの火砕岩層からなる。湖水域は氷期?間氷期のサイクルにあわせ拡大?縮小あるいは生成?消滅を繰り返した。また、侵食力が強化された時代には、河谷が刻まれた。
第四紀更新世後期(10万年前頃?):関谷構造線における断層運動により那須野原一帯が陥没。上流域を中心に砂礫層が厚く堆積し、古期扇状地が形成される。この際の堆積物(金丸原面)は分離丘陵上にわずかに残存しているが、侵食力が強化された時期に一度削り取られる。
第四紀更新世終期(1~2万年前頃):最終氷期にふたたび堆積が促進され、現扇状地面の大半を占める那須野面が形成。那須野面は金丸原面よりも新しいが、一度切り込んだ後に再堆積したものであるので、より低位にある。
第四紀更新世末期および完新世(最近1万年以内):扇頂部において熊川?蛇尾川などによる小規模な扇状地が形成。このため、扇頂部付近は傾斜がやや急で、複合扇状地の様相を呈す。
以上のように、那須扇状地の地下には館の川火砕岩層と緑色凝灰岩層の二つの難透水層がある。館の川火砕岩層の上位には数層の扇状地性砂礫層が堆積しており、ここに浅層地下水が存在する。また、館の川火砕岩層の下位、緑色凝灰岩層との間にある境林礫層には深層地下水(被圧地下水)が存在する。火砕岩層は過去に河谷が刻まれた履歴をもち、これらは現在砂礫層で埋め立てられ地下谷(埋没谷)となっている。浅層地下水の調査によれば、分離丘陵と平行に走る、およそ10本の地下谷の存在が推定されている。
3. 那須扇状地の水循環と人間活動
扇状地における水循環の一般的な特性として、扇頂部?扇央部では透水性が高く(河川は伏流する場合も多い)、地下水面も深いという点があげられる。那須扇状地も例外ではなく、また空間的規模が大きいため、明治以前は人の手が入らず、茅などの茂る原野であった。このようなことから、国の直轄事業として灌漑用水路の整備が始められ、明治18年(1885年)の那須疏水の完成以後、大規模な開墾が進んだ。現在では、扇頂部などの一部が酪農場として利用されているほか、扇央部?扇端部では市街地を除くほとんどが水田地帯となっている。
那須扇状地の地下水は、那須疏水の開通以後も農業あるいは工業用水として重要であるが、戦後の過剰揚水により地下水位はかなり低下したと言われる。また、昭和40~60年代に行われた那須疏水のライニング(コンクリート化)によっても、地下水位の低下に拍車がかかったともいわれる。このことは、那須疏水からの浸漏水が地下水の涵養において重要な役割を担っていることを暗示している
文档评论(0)