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准最短经路と媒介中心性
奈良産業大学『産業と経済』第25巻第 1 号(2012年12月)53-62
準最短経路と媒介中心性
棚橋 豪
1 導入
本論は、流通論の形式化を企画するためにネットワーク論的転回を宣言する。ヒト・モノ・コ
トの流通には、様々なタイプのルーティングが存在する。そこでネットワーク上のフロー・プロ
セスの論考を手掛かりにして、最短経路以外のフローの重要性を確認する。また、「媒介中心性」
は交易ネットワークの商業資本の権力として考えることができるが、しかしこの中心性は最短経
路を前提としている。そのため、このままでは最短経路以外の流通の指標とはなり得ない。この
批判から、すでにランダム・ウオークによる「媒介中心性」が提唱されているが、酔っ払いの気
まぐれもまた極端なフローでしかない。本論の関心は、最短経路を指向しながらもやや冗長にな
るような、準最短経路に基づいた「媒介中心性」に向けられる。
2 均衡論的思考と流通論的思考
「流通」を論じるということは、いわゆる商学の範障を超えて、社会科学一般の水準に照らし
合わせても極めて重要な見識を備えている。後で述べるように、現在の商学において、これを理
論的に扱う枠組自体は消失している。しかし、商学の中心分野の一つが流通論である以上、少な
くともこれへの関心自体は未だ失われてはいない。
商学が扱う流通は、物涜・情報涜・商読の三つの流れである。それらはヒト・モノ・コトが行
き交う移動や痕跡として考えることができる。いずれにせよ、これらは網状の経路を移動する流
れとして存在している。そして、流通論はこの網状を馳せる流れnetwork flow と対陣すること
が宿命づけられる。
他方において、経済学を始めとする社会科学一般は、均衡論的な性格に根ざしている。新古典
派経済学にせよ、マルクス経済学にせよ、これらは静学的である。一般的に、両者は対立してい
るように理解されているが、これら本質は、社会の動態を断面図として切り取ったものでしかな
いという点で共通している。また、社会学における構造主義においても動態的な視角が存在しな
い。そして、構造主義者は過程ではなく結果として構成された骨組みに傾注する。この意味で、
構造主義もまた静学的な均衡論の範暗に属している。
もちろん、社会学には様々なアプローチがあり、このような立場に異議を唱える者も多い。た
だし、それらの多くは現象学や文化研究のように、極めてジャーナリスティックな方法論に根ざ
している。翻って、これら立場は科学性や理論性が乏しいことが批判される。こうして、社会学
一般は、「静的な理論/動的な現実」という二項対立において互いを批判し合うが、しかしその
論争は予定調和的なものに留まっている。まさに両者は、この二項対立においても「均衡」して
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いるのだ。
これに対して、流通論はその本質からして反均衡論的である。疏通論は「流れ」の学を指向し
ており、さらにこれをどのようにして構造的に扱うのかに関心があった。涜通論は、流れを止め
た世界観と相容れない。さらに、マルクス経済学の傍流として端を発する我が国の商学は、この「流
れJ を安易な現実本位の記述として研究することに抵抗があった。したがって、かつての流通論、
いわゆる商業経済論は、「涜れ」を構造的に記述するという難題を宿命的に背負っていたのである。
そうであったにも関わらず、商業経済論はマーケティング論に改訂されるなかで、その問題意識
から距離を置くことになる。その背景には、次の二点が挙げられる。
一つは、 60 年代以降、わが国の小売構造が激変していく流通革命の存在である。流通革命に
より、生産と消費の関係性は、既存の商業経済論が想定していた枠組みから逸脱していく。例えば、
零細小売業が衰退していくなか大型小売店が躍進し、さらに彼らが生産者をその配下に従えてい
くような事態が生じた。このような現実は、商学の想定していた流通論(商業資本の存在根拠や
それがなぜ独占的生産者の所有として終わらないのかといった
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