橡05文明志特委报告案最终版-日本学术会议.PDF

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橡05文明志特委报告案最终版-日本学术会议

文明誌の構築特別委員会 報告 「文明誌」という知の新領域 開拓の可能性を検証する 1 文明誌の構築はなぜ必要か 1-0 文明とその未来に社会的関心が高まった背景 21世紀が開幕した途端、米国で9.11事件が起き、これを機に対テロ戦争が開始さ れた。その舞台は、アフガニスタンその他から混迷をきわめるパレスチナ局面に拡がり、 さらにイラク戦争へとつながった。この間、国際社会には、さまざまな次元で、未曾有(み ぞう)の深刻な亀裂が表面化してきた。既成の秩序がいたるところで激しく揺り動かされて いる。世界中で、人々は今、重大な分岐点に立たせられた緊張感をもって、いやおうなく 人類の来歴と行く末とを問いなおすようになっている。 9.11事件が起きた2001年は、皮肉なことに、国連が定めた「文明間対話」年に あたっていた。世界が暴力と脅威のアリ地獄から抜け出せない今日の事態は、人類社会が 宗教的・民族的対立に発する「文明の衝突」の共倒れを回避できないのではないかという 不安を、人々の間につのらせている。 不透明・不確実な未来への不安は、環境汚染・破壊、格差と不平等の拡大、資源・エネ ルギーをめぐる紛争、人口爆発、生命操作がはらむ倫理上の危機、等々、安心と安全を脅 かす人類的・地球的規模の「行き詰まり問題」*という難問にとり囲まれた状況によっても、 いっそう抜き差しならぬものとなっている。 *日本学術会議『日本の計画Japan Perspective学術により駆動される情報循環社会へ』pp. 31-33. 地球にいずれ避けがたい「終わり」(滅び)があるにせよ、われわれは、人類文明の八方 塞がりというべき目前の状況からなんとか合理的に脱出して、「持続可能性」の可視的未来 を一望できる地点に軟着陸する方途を考案しなければならないのである。このようにして、 人類社会の危機的現実、そして人類の命運が、「文明」のあり方に対する反省の立場から眺 められるようになった。 経済やコミュニケーションの面で世界の一体化が急激に進み、「地球市民」とか「地球村」 などの意識が拡がるのと反比例して、民族間・宗教間の対立と片付けられるエスニシティ 紛争が深刻化している。地球規模で蔓延(まんえん)する武力抗争とテロリズムの根を絶つ ために、文化の多様性の尊重が説かれ、異なる文明間の対話の重要性が叫ばれている。 人々が「文明」の未来に痛切な関心を寄せるのはなぜか。「文明」に対する考察や「文明」 1 をめぐる論議がグローバル化することの今日的意義は何か。これらの問いは、ひろく世界 の科学者に、みずからの社会的責務として、「文明」研究への主体的関与の必要性を認識す るよう促している。* *一例として、日本学術会議声明 「「人間の自覚」に基づく「教育」と「環境」両問題の統合的解決を目指 して」(2000年6月8日) 日本の科学者には、ことに日本における文明の動態とその特質を解明することによって、 人類の将来に向かって日本社会がいかなる独特の提案を発信することができるかを明らか にしていく役割が期待されているといえよう。 1-1 「文明」をどう定義するか 今日的関心につながる文明比較は、 O.シュペングラー『西洋の没落』(1918-22)、 A. トインビー『歴史の研究』(1934-61)、A.クローバー『様式と文明』(1957)などからはじ まっていた。20世紀におけるこれらの動きは、日本の社会・文化の発展の特異性に対する 関心の高まりと並んで、14世紀北アフリカが産んだイブン・ハルドゥーンの『歴史序説』 における文明(ハダーラ)理解の意義を再認識・再評価することとも、無縁でなかった。 しかし、日本でユニークな文明研究を先導したのは梅棹忠夫『文明の生態史観』(1967、 同名の論文発表は1957)である。日本では、フランス語のcivilisationの訳語としての「文 明」とドイツ語のKulturの訳語としての「文化」とを概念的にいかに区別するかをめぐり、 さまざまな議論が繰り返されてきた。梅棹は、「文明」とは「「よりよいくらし」を求める 人類の望みを叶えてくれるもの」と定義した(『文明の生態史観』)が、やがて「われわれは、 さまざまな道具類にとりかこまれ、複雑な機械を運転し(中略)巨大な建築物、道路等の 施設群をもっております。そのような目に見えるもののほかに、精密にくみたてられたさ まざまな制度をもっております。これらの、人間をとりまく有形

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