认识论と神学に关连して-中世哲学会.PDFVIP

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认识论と神学に关连して-中世哲学会

「トマス哲学の現代的意義」報告 105 てではなく個別的な問題として寄与する可能性があることを指摘した。その際山田 教授はトマスの全存在経験の解明が哲学史全体の記述をへーゲル的意識主義から脱 却せしめるであらうと言ひ, トマス哲学の歴史的研究が, そのまま新しい哲学史の 可能性につながることを明確に し, 稲垣教授は現代倫理学の対立(分析論的見解 と 自然主義的見解の善についての矛盾関係)を問題意識に取り入れて, トマスの哲学 を研究することによってこの対立を止揚しうる可能性を論理的に明確にすることを 介して, トマスのテキスト解釈が歴史性を失ふことなしに, 現代哲学の問題となる ことを示した。 (3)これら3人の相互に対立する見解にもかかわらず, 現代的意義 を問ふ場合, 司会者がなかば即興的!c選びとったかに見えたかもしれないと 乙ろの 経験と価値意識のふたつの問題が, 実は3人のそれぞれの視座から語られてゐたの であり, それが具体的に彼らの意見を形成することになってゐるのである。といふ ことは, トマス解釈の歴史的な問題として, トマスにおける意識乃至経験とは何か といふ研究の必要性と, 現代, 我々が価値をいかに考へてゐるかといふ我々の体系 的思索の必要性, これらふたつの課題が, トマス哲学の現代的意義を間ふ場合lζ, その立場が松本的であれ山田的であれ稲垣的であれの別を聞はず, 共通に与へられ てゐるといふことになるであらう。 なほ会場の一般席からの質問や発言が多少あったが, 適切な発言があっても, そ れらについて充分の時間が残されてはゐなかったので, 討論として浮彫られるまで に至らなかった。それは司会者の責任といふことでもあったが, 3人の学者がそれ ぞれの考へをかなり充分に出し合へたことは, 何と言っても有意義な乙とであった。 提贋 認識論と神学に関連して 松 本 正 夫 デカルトは意識一般の自明性から出発して意識論哲学を建設したのに対して, 聖 トマスは存在一般の自明性から存在 ペ 論哲学を形成する。ハイデッカーやヤス ルス などの現代哲学もデカル ・カント以後の意識論哲学の流れのもとにあるので, そ 106 れとの対比においてトマスの存在論哲学を考察することは, いきおいトマス哲学の 現代的意義を問うことになるかと思う。デカルトは神学とちがって哲学は疑っても 疑いきれないものから出発すべきであるとし, また私達K直接に与えられる意識の 事実こそ自明であるとして意識論を第一哲学としたのであるが, ところがトマス ・ アクイナスに限らず, アリストテレスもそうであったが, 実はデカJレトが「方法叙 説」で述べている「哲学は疑っても疑い切れない自明性から出発すべきであるjと いう前段の主

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