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民主主義と音楽教育』の検討を中心として―
ポール?G?ウッドフォードの音楽教育哲学 19
本論文では,ポール?G?ウッドフォードの著書『民主主義と音楽教育 -実践のリベラリズム,
倫理学,政治学-』(2005年)の検討を通し,彼の音楽教育哲学の特質を明らかにすることを目的
としている。
手続きとしては,まず同書の梗概を,思想,哲学的内容を中心に検討する。次に,それらを分析
視角としてウッドフォードが批判の俎上に載せる音楽教育トピックについて,考察する。さらに,
デューイの哲学,民主主義論,リベラリズム等を理論的ベースとするウッドフォードの音楽教育論
を,ヘルバルト主義と比較することで,その特有性を浮き彫りにする。
〔キーワード〕ウッドフォード 音楽教育哲学 デューイ 民主主義 リベラリズム
ポール?G?ウッドフォードの音楽教育哲学
―『民主主義と音楽教育』の検討を中心として―
杉 田 政 夫*
Ⅰ 問題の所在-ヘルバルト主義とデューイ
筆者はこれまで,明治中期以降,ドイツより導入さ
れたヘルバルト主義教育思想が,日本の学校音楽教育
においていかに受容,展開され,とりわけ学校音楽教
材の構成理念にいかなる影響を及ぼしたのかについて
論究してきた1。またヘルバルト主義の根本原理であ
る「文化史段階説」「中心統合」「形式的段階」のいず
れもが,今日の学校音楽教育の目的,内容,方法にお
いても,影響が色濃く映し出されていることを考証し
た。例えば,音楽科学習指導要領の目標における「音
楽を愛好する心情」「音楽に対する感性」の育成を「豊
かな情操」へと関連付けるロジック,教材楽曲の作成
や取捨選択に関する理念,音楽指導方法における「導
入,展開,まとめ」(唱歌科においては予備,教授,
練習の三段階が典型であった)といった段階的手続き
等々,いわば音楽科教育における中枢的部分にヘルバ
ルト主義の影響を析出した。これらのことは,ヘルバ
ルト主義の体系的な教育思想が,日本における学校音
楽教育の確立にとって重要な役割を果たしてきたこと
を物語っている。
しかしながら,ヘルバルト主義が音楽教育の理論と
実践を支える基礎哲学としての役目を担ってきた反
面,それが制度化,定型化されたことも相まって,あ
る種,画一的でトップダウン式の音楽教育の理念的源
泉として機能してきた感もまた否めない。筆者がかつ
て展開した音楽科カリキュラム批判は,矮小化された
ヘルバルト主義音楽教育論に概ね向けられたといって
も過言ではない2。
このような認識でもって教育思想史を振り返るなら
ば,往時,アメリカ教育界をも席巻したヘルバルト主
義の影響を受けながらも,それを批判的に継承するこ
とで,中央集権的な公的枠組み(コース?オブ?スタ
ディーズ)としてではなく,学校における教師と子
どもを主体としたカリキュラムを構成した主要人物
が,ジョン?デューイその人であったことが分かる3。
デューイは全米ヘルバルト協会に貢献し,ヘルバルト
主義の「文化史段階説」を批判的に解釈しつつ,デュー
イ?スクールにおいて実践したことが指摘されてい
る4。
これらのことから,筆者には二つの研究課題が導か
れる。一つには,デューイがヘルバルト主義をどう批
判,超克し,自身の哲学を彫琢したのか,それはいか
に(日本を含めた)音楽教育に受容され5,どの程度
変革に寄与したのか,という歴史的,思想史的な考究
である。
二つには,現下の音楽教育にまでヘルバルト主義を
含めた西洋近代教育思想が,ある種の軛として機能し
ているのであれば,デューイ哲学とその再構築に,日
本の音楽科教育を巡る閉塞状況を穿ち,打開するため
の方途を求める,という今日的課題である。この発想
は,デューイのプラグマティズムを,エマーソンの道
徳完成主義と対話させることで再生し,今日のグロー
バル化や新自由主義経済のもとで教育や民主主義を覆
うニヒリズムに抗し,乗り越えようとする,齊藤直子
氏の論考に触発された部分も大きいことを,付言して
おきたい6。
Ⅱ 研究の目的,及び方法
本研究において相対的に比重が置かれるのは後者
であり,検討されるのはウッドフォード(Paul G.
*:人間発達文化学類
2011- 720 福島大学総合教育研究センター紀要第11号
Woodford)の手になる『民主主義と音楽教育 -実
践のリベラリズム,倫理学,政治学-』である7。標
題から類推される通り,同書は『民主主義と教育』の
著者,デューイの哲学を理論的支柱としているのであ
るが,それを直截に音楽教育実践に適用することが主
目的ではない。むしろデューイが提起しながらも,こ
れまでの音楽教育学研究においては等閑視されてきた
感のある政治的,倫理的,社会的な言説,民主
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