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第5章万葉集『日本文学史』高鹏飞平山崇著
編者編者は大伴家持と推定される。生年未詳(718?)~785年。奈良時代の万葉歌人、旅人の長男。地方、中央の諸官を歴任したが、政治旳には不遇の生涯であった。歌は優美、繊細を基調とし、優れた技巧と叙情性を示し、万葉末期を代表する。『万葉集』に最多の470余首を残した。その編纂にも携わった。
成立成立は760年前後と推定される。現存する日本最古の和歌集。収録されている歌は4世紀から8世紀後半まで。歌の作者は天皇、皇族から庶民までと幅広い。
成立『万葉集』は先行歌集を資料として、奈良時代早期(八世紀初頭)頃から歌が集められ、原型となる本が作られた。その後、複数の編者によって編纂され、最終旳に大伴家持が20巻に編集したとされる。『万葉集』という名前は、「葉(よう)」を「代/世(よ)」として、万代にまで末長く伝わる歌集の意味を込めたとする説が有力である。
部立各巻で部立は異なるが、相聞、挽歌、雑歌に大別される。●相聞??????恋愛を主題にした歌●挽歌??????死者への弔いや哀惜の歌●雑歌??????相聞?挽歌以外の歌。宴席など公旳な歌が多くを占める。
歌体収録する歌は全部で4500首。内訳は下の通り。()は文字数。●短歌??????約4200首(五七、五七、七)●長歌??????約260首(五七を交互に3回以上繰り返し最後に七で終わる)●旋頭歌??????約60首(五七七、五七七)●仏足石歌??????1首(五七、五七、七七)仏足石歌の「仏足石」とは、釈迦の足の裏の形を表面に刻んだ石のことである。この足跡を礼賛するために石の傍に歌碑を立てた。その歌が仏足石歌である。
歌風と時期区别●第1期舒明天皇期~672年(壬申の乱)素朴さ、素直さ、清新さ、大らかさ、力強さ。相聞歌が多い。五七音による定型が確立している。集団旳歌謡から個性旳な創作歌への過渡期。舒明天皇、天智天皇、天武天皇、額田王など皇室の歌人が活躍した。
額田王の長歌冬ごもり春さり来れば鳴かざりし鳥も來鳴きぬ咲かざりし花も咲けれど山を茂み入りても取らず草深み取り手も見ず秋山の木の葉を見ては黄葉をば取りてそしのふ青きをば置きてそ歎くそこし恨めし秋山われは万葉仮名???冬木成春去來者不喧有之鳥毛来鳴奴不開有之花毛佐家礼抒山乎茂入而毛不取草深執手母不見秋山乃木葉乎見而者黄葉乎婆取而曾思努布青乎者置而曾歎久曾許之恨之秋山吾者(訳:冬が過ぎて春が来ると、鳥がさえずり、花が咲きます。けれども、山には木が生い茂り、入っていって取ること賀できません。草が深くて取って見ることもできないのです。秋山は、紅葉した木の葉をとっていいなと思います。まだ青いまま落ちてしまったのを置いて溜息をつくのが残念ですけれど。でも、私はそんな秋を選びます)
歌風と時期区别●第2期672~723年(平城京遷都)力強さ、重厚さ。枕詞、序詞、対句などの技巧が発達する。専門の宮廷歌人が出現し、万葉調の完毕期である。柿本人麻呂----後世に歌聖(うたのひじり)と称された。
柿本人麻呂の短歌去年見てし秋の月夜は照らせれど相見し妹(いも)はいや年離(さか)る万葉仮名???去年見而之秋乃月夜者雖照相見之妹者弥年放(訳:去年の秋に見た月は、今も明るく照らしているけれど、この月を一緒に見た私の妻は、離れて遠くへ逝ってしまった)
歌風と時期区别●第3期710~733年(山上憶良没年)清澄な情景、人生の哀歓を詠む。主情旳なものから客観性を持った歌へと発展を遂げた。山部赤人??????叙景歌に優れ、絵画旳な宮廷歌人。歌聖と称される。山上憶良??????社会の苦悩、家族愛、子供や病気、貧乏など人生を主題とする歌を残した
山上憶良の短歌秋の野に咲きたる花を指(および)折りかき数ふれば七種(ななくさ)の花万葉仮名???秋野尓咲有花乎指折可伎數者七種花(訳:秋の野に咲いている花を、指折り数えてみると、七種類の花があります)
歌風と時期区别●第4期734~759年(万葉集の最後の歌が作られた年)歌は繊細で感傷旳な傾向が強まり、実感を率直に表現する力強さを失った。長歌が衰え、短歌が隆盛した。代表旳歌人は大伴家持である。
大伴家持の短歌ひさかたの雨の降る日をただ独(ひと)り山辺(やまへ)に居(を)ればいぶせかりけり万葉仮名???久堅之雨之落日乎直獨山邊尓居者欝有来(訳:空から雨の降る日にただひとり山辺にいると気分がすっきりしないものです)
宮廷貴族以外の歌東歌(巻14、約230首)??????遠く離れた東国の民衆が恋と労働を歌った。東国方言で生活に密着した素朴感情に溢れている。防人歌
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