フーコー『臨床医学の誕生』神谷美恵子訳(みすず書房).docVIP

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  • 2017-01-06 发布于天津
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フーコー『臨床医学の誕生』神谷美恵子訳(みすず書房).doc

フーコー『臨床医学の誕生』神谷美恵子訳(みすず書房)

フーコー『臨床医学の誕生』神谷美恵子訳(みすず書房) Michel Foucault, Naissance de la clinique, (PUF 1963) 第八章 屍体解剖 「きわめて早くから、歴史家たちは新しい医学精神を、病理解剖の発見にむすびつけた。......医学知識の最後の段階において、医学をポジティヴなものたらしめる第一原理を与える、という奇妙な特権が、病理解剖学に与えられた」(175)。 「以上のような再構成は、歴史的にみて、まちがっている」(176)。 「医学史の中で、この錯覚は、一つの正確な意味を持っている。それは一種の回顧的正当化として作用する。つまり、もろもろの古い信仰がそれほど長い間にわたって、このような禁止的威力を持っていたとするならば、それは医師たちが、彼らの科学的貪欲の奥底から、屍体を開けてみたいという、抑圧された欲望を感じていたからにちがいない、というのである。ところが、この点に、まちがいがある。しかもこのまちがいを、そんなにも絶えず犯させた暗黙の理由は次のものである。すなわち、損傷が症状を説明するということがみとめられ、病理解剖が臨床医学の基礎であることがみとめられたその日から、どうしても歴史を書きかえる必要が生じたのである。つまり、患者を観察することに対して、やっとポジティヴな意味がみとめられたわけであるが、それ以前に、少なくとも科学的要請として、屍体解剖が行なわれていた筈であった。生きた人間を理解しようとの願いがあらわれた時、すでに死人を知ろうとする欲求が存在していた筈であった。そういうわけで、解剖というものが、暗い陰謀のように行なわれたとか、解剖学を奉ずる戦闘的、苦闘的な教会があったとか、ひとはさまざまな想像をめぐらしたのである。この想像によれば、この教会のかくれた精神が、まず臨床医学を可能ならしめ、そのあとで自分自身、屍体解剖という規則的な、許可された、日常的な実践において表面に出たのだ、ということになる。  しかし、年表を曲げるわけにはいかない。モルガーニは一七六○年に「疾病の座及び原因について」を発表し、ボネーの「墓地」を介して、ヴァルサヴァの大きな系統の中に位置づけられる。リュートーは一七六七年にモルガーニの本の要約をあらわす。屍体は、宗教からも道徳からも反対されることなく、医学的分野の一部となっている。ところが、ビシャとその同時代人たちは、四○年も後になって、病理解剖学を、或る影の地帯のかなたに再発見するという感じを持つ」(177)。 「解剖学と臨床医学は同じ精神のものではない。現在は解剖学と臨床医学の緊密性は確立されたものであり、それはすでにはるか昔のことなので、奇妙に思われるかも知れないが、四○年もの間、モルガーニの教えに医学が耳を傾けるのを邪魔したのは臨床医学的思考なのである」(178)。 「新しい地理的な線のひきかた」「新しい時間の読みかた」(178) 「病理解剖学は「分析」に対して新しい、決定的な価値を与えた。......もし疾患が分析されるべきものであるならば、それは、それ自体が、分析であるためである。観念の上で疾患を解体することは、患者の体内に起っている解体を、単に医師の意識の中で反復することにすぎないのである。一七世紀の後半において、ファン?ホルネはくも膜と軟脳膜とを区別したが、それにもかかわらず、リュートーのような多くの著者は、まだこれを混同していた。変化がおこると、これらははっきりと分かれる。炎症の下では、軟膜は発赤し、それが全く血管で組織されていることを示す。この時、軟膜は平生より硬く、乾いている。くも膜はより濃い白色となり、粘性の滲出物で覆われる。これのみが浮腫にかかりうる」(182-183)。 「病理的なものが自発的に解剖を行なう限りにおいてのみ、解剖学は病理解剖学になりえたのである。病気とは肉体の闇の中での剖検であり、生体解剖なのである」(184)。 「ビシャとその弟子たちが、たちまちのうちに、病理解剖学の発見に対して、熱中した意味はここにある。彼らはピネルやカバニスを越えてモルガーニを再発見したのではない。彼らは肉体そのものの中で分析を再発見したのである」(184)。 「しかし、解剖学的知見を、諸症状の解読に適合させることは、どのようにして可能なのであろうか。空間的な諸現象によって構成される一つの同時的総体が、どのようにして、時間的な一系列の一貫性を基礎づけることができようか。しかもこの時間的系列とは、その定義からして、上でいう同時的総体よりも全く以前のものなのである。ソーヴァージュからドゥブルに至るまで、病理学の解剖学的基礎という概念そのものに対して敵対する人びとがいた。この人たちはみな、屍体の可視的な損傷は、不可視的な疾

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