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航 路 啓 開 史
第1章 太平洋戦争終戦時から保安庁開庁前までの航路啓開
自 1945(昭和20)年8 月15 日
至 1952(昭和27)年7 月31 日
別 冊 父島方面特別掃海
第2章 保安庁及び防衛庁における航路啓開
自 1952(昭和27)年8 月 1 日
至 1960(昭和35)年3 月31 日
1 本史は、太平洋戦争終戦時から昭和35 年3 月31 日までの我が国における航路啓開の歴史を記した
ものであり、海上幕僚監部防衛部において編纂され昭和36 年2 月1 日に発刊されたものである。
2 本史料は、上記の原本を書写し、再編集したものである。
3 書写・再編集に当たり、原本中明らかに誤植と思われる箇所を修正するとともに、注釈を要すると
ころ並びに理解を容易にするため、追補として写真、図表等を加えた。
4 平成21 年9 月1 日に書写初版を作成し、掃海隊群のウェブサイトに掲載した。
5 平成20~22 年、水交会の事業「苦心の足跡」(機雷掃海)を纏めるに際して掃海史実調査が行われ
た。この調査を通じて判明した史実や収集した資料に基づき、更に編集部としての注釈等を加え、平
成24 年9 月30 日に改訂版を作成した。
平成21 年 9 月 1 日 書写初版
平成24 年 9 月30 日 改訂版
掃海OB 等の集い
世話人会
序 文
昭和20 年8 月 15 日 わが国は未曾有の敗戦を迎え、混乱と虚脱のさ中に立たされたのである。この時当時
の徳山港湾警備隊司令岡戸【靖彦】海軍大佐【海兵51 期】は、隊員を集めて次のように訓示した。
「諸子は今日まで内海に敷設された危険な機雷の掃海作業に日夜辛酸をなめたのであるが、終戦の日を迎え
た今日この時から更に本格的な掃海隊員としての仕事が始まることを覚悟しなけれはならない。これがわれわれ
掃海隊員に課せられた責務であり、国家同胞に報いる所以である。」と。
同司令の訓示のとおり、連合軍一般命令第 1 号に基づき、(また独立後は自主的に、)10 有余年にわたる今
日まで日本近海の危険海面を開放するための掃海作業は営々として続けられている。
この間社会の変遷に伴い掃海業務の所掌は海軍省から逐次第2復員省、復員省、運輸省、海上保安庁、続
いて防衛庁(保安庁)と移管され、またこれに従事する隊員も異動交代があったが、終戦直後の混沌たる時期か
ら現下2大陣営の対立する目まぐるしい時代を通じて幾多の尊い犠牲を払いつつ終始一貫あらゆる苦難に耐え、
危険を冒して一意安全航路を啓開し、わが国海運の復興と民生の安定に寄与して来たのである。
終戦後 15 年を経て海上自衛隊による航路啓開業務も一大躍進を見た今日、当部嘱托 林幸市氏【海兵 51
期】の編集努力と元航路啓開部長 田村久三氏【海兵46 期】及び現経理補給部長 池田法人氏等の監修によ
り本書の刊行を見たことは極めて時宜を得たことであり、掃海業務に関係された各位の御努力と御支援に対し
深甚の謝意を表して序文とする次第である。
昭和36 年2 月1 日
防衛庁海上幕僚監部防衛部長
海将補 石 黒 進【海兵57 期】
【追補】
1
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【追補 :原文は末尾参照】「一九四五年九月二日付指令第一号、一般命令第一号」
Supreme Commander for the Allied Powers General Order no. One
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