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  • 2017-02-06 发布于湖南
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横井小楠の教育政治思想-aichi

東邦学誌 第40巻第1号 2011年6月 論 文 横井小楠の教育?政治思想 荒 川 紘 目 次 はじめに 1 水戸学における私塾教育と尊王攘夷論 2 吉田松陰の松下村塾と討幕論 3 横井小楠の教育論 4 横井小楠の政治論 5 横井小楠と明治維新(1) 6 横井小楠と明治維新(2) あとがき―私たちにとっての横井小楠 注 付記 はじめに 激動の幕末期に近代日本の青写真を描いたといわれる横井小楠は教育思想の歴史からも見逃せ ない人物である。1809年に熊本藩士の子として生まれ、藩校?時習館で朱子学を学んだ小楠は、 江戸に遊学、水戸学のリーダーであった藤田東湖と親交を結び、尊王攘夷論を信奉するようにな った。熊本にもどると、時習館の旧友を誘い、学問は民の生活の向上に寄与するものであらねば ならないという「実学」についての研究会を開き、私塾?小楠堂では豪農や他藩の武士むけに 「実学」の教育をおこなった。その評判から福井藩に招かれて藩士に講じ、福井藩のために学校 教育のありかたを論じた『学校問答書』を著わしたが、そこでは学問は政治と不可分という「学 政一致」の教育論を展開していた。小楠の教育思想は教育?政治思想であった。 小楠は「学政一致」の教育は中国人が理想の時代と考えていた「尭舜三代の治」において実現 されていたことに注目をする。さらに、小楠は清の魏源が編集した世界地理書の『海国図志』を 読み、アメリカをはじめとしてヨーロッパでは「尭舜三代の治」の教育と政治が行なわれている のを学ぶ。それによって、「無道の国」と思われていたアメリカが「有道の国」であることを知 って、開国論者に転換する。福井藩主の松平慶永が政事総裁職に就任すると幕府の改革策「国是 七条」を建言、大政奉還と公議政体論=議会制の導入による幕政の改革を提唱した。その理想は 富国や強兵に止まらず、「大義を四海に布く」ことにあった。 101 明治維新は、小楠とおなじく水戸学に心酔、尊王論を徹底させて、草莽崛起による討幕を叫び かけた吉田松陰の道を歩んだ。最終的には薩摩と長州を中心とする武力によって討幕は成ったの だが、新政府は発足とともに、大名や公家や有力武士からなる上局と藩の代表者からなる下局と いう議会をおいた。下局は「公議所」と呼ばれるようになる。その政権の政治的正統性を確保す るためには時代の潮流となっていた公議政体論による議会が必要とされたのである。 しかし、版籍奉還と廃藩置県によって天皇親政による有司専制の確立をめざした新政府は、議 会の排除にかかる。藩の代表者からなる議会はもとより、大名や公卿からなる議会も廃された。 中央集権による上意下達の体制が政治に浸透し、それは教育をも支配するようになる。 小楠の教育?政治の思想は自由民権運動でよみがえる。自由民権運動は公議政体論を進めて、 封建身分にもとづく議会でなく天賦の人権にもとづく民選による国会の開設を主張した。自由民 権運動も教育を重視、運動の結社の多くは学習の場である学塾を設けていた。そこではヨーロッ パの民権思想だけでなく、自己の確立のために儒教も学ばれた。 1 水戸学における私塾教育と尊王攘夷論 (1)藤田幽谷の『正名論』 水戸藩の2代藩主徳川光圀が進めた『大日本史』の編纂事業のなかで朱子学を基本としながら はるもり 尊王論を打ち出した水戸学の活動は、光圀の死後停滞する。しかし、6代藩主治保のとき、彰考 すいけん 館総裁の立原翠軒のもとで編集事業は活発となり、水戸学も新な展開をみせる。水戸の古着商の 子ながら、翠軒の私塾に学び、翠軒の推薦で『大日本史』の編纂に携わっていた藤田幽谷(1774 -1826)が18歳のときに老中松平定信に提出した『正名論』は後期水戸学の記念碑となった。 幽谷は、「天地ありて、然る後に君臣あり。君臣ありて、然る後に上下あり」という朱子学の 君臣論から出発する。君臣の関係は天と地のように絶対的な上下の関係にある。つづけて幽谷は、 君も臣もその名にふさわしい生き方をせねばならないという、朱子学の名分論と説く。 かくかく しかし、日本には天皇が存在する、「赫々たる日本、皇租開闢より、天を父とし地を母として、 よよ 聖子?神孫、世明徳を継ぎて、以て四海を照臨したまふ。四海の内、これを尊びて天皇と曰ふ」。 かつ おか その天皇にたいしては、「古より今に至るまで、未だ曾て一日として庶姓の天位を奸す者あらざ る」、中国の天子とちがい、日本の天皇は万世一系、天皇の位を奪おうとしたものはいなかった。 ここに天皇の特質と神聖さがある。そして、「幕府、皇室を尊べば、すなわち諸侯、幕府を崇び、 諸侯、幕府を崇べば、すなわち卿?太夫、諸侯を敬す」とのべて、将軍は天皇を、大名はは将軍 を尊崇すれば、臣下たちも

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