中国儒学受容と伝統思想.docVIP

PAGE PAGE 12 中国儒学受容と伝統思想 —武士道をめぐって— 一、 はじめに 何が代表的な日本文化であろうか。一言では表現しにくいが、武士道を代表的な日本思想と言えば、おそらく反対する人はいないであろう。一八九〇年に、新渡戸稲造は『武士道』という本を書いた。新渡戸稲造はこの本において、武士道の倫理は儒教によって形成され、武士道思想は儒教から多大な影響を受けていると述べている。武士道と密接な関連のある儒教では、死のことを避けるかのようにあまり論じていない。こういう観点に立って考えてみれば、武士道は儒教とはかなり異なった存在であると言わなければならない。では、武士道と儒教はいったいどのような関連があり、またどのような差異があるのか。このような相違はいったいどのように形成され、また何を意味しているのであろうか。今日は代表的な武士道文献を中心にして、その中に現われている死の思想を検討しながら、比較思想的な視点から武士道と儒教の異なった点を明らかにしようと思う。この研究が日本の代表的な精神文化である武士道をよりいっそう理解し、日中両国の思想文化の相違を明らかにすることができれば、幸いに思う。 二、 武士道の起源 旧5千円札の肖像で知られる新渡戸稲造（1862 ?1933）は、岡倉天心（1862?1913）と同様に、幕末に生まれまもなく明治を迎えた後、日本で初めて近代的な高等教育を受けた知識人の一人であった。 内村鑑三、坪内逍遥、森鴎外、夏目漱石も同世代である、彼らに共通しているのは、いずれも欧米人教師から直接、西欧の学芸文化を学び、世界への目を開かれると同時に、そこから振り返って日本を見つめようとしたことである。 新渡戸稲造は、祖父が始めた開拓事業を引き継ぐため、15歳で入学した。キリスト教に侵入すると同時に、コスモポリタン的な理想を抱くようになった。 1884年にはアメリカに渡り、さらに1887年からはドイツに移って勉学研究を続け、1891年に帰国すると、母校で教えるなどした。やがて多忙から体調を崩し、1898年にアメリカに渡って、しばらく生活を続けた。この機会を 利用して、欧米人に日本文化を啓蒙する目的で書かれたのが、本稿で取り上げる『武士道』である。 （一）『武士道』の起源 道徳体系を考察する前に、『武士道』の成立について述べておきたい。著者?新渡戸稲造は、熱心なキリスト教徒であり、東京帝国大学教授や東京女子大学学長を歴任した真摯な教育者であり、国際連盟事務局次長として世界的な活躍をした人であった、なぜ、こういう人が日本の伝統的な「武士道亅について書いたのであろうか。さらにいえば、この本はアメリカから英文で 発刊されたものである。なぜ、英文で発刊されたのであろうか。 新渡戸が卒業した農学校といえば、「少年よ、大志を抱け！亅で有名なク ラーク博士が、教頭として赴任していた学校である。プロテスタントの敬虔な信者であったクラークは、専門の植物学よりもキリスト教に基づく人格教育に重きをおき、彼が残した「イエスを信じる者の誓約亅には多くの生徒が署名した。 もちろん新渡戸も、それに感化されてキリスト教徒になるのであるが、彼は二期生であったので、入学した時、すでにクラークは帰国していて面識はない。同期に、明治キリスト教の先駆者となった内村鑑三もいる。 それではなぜ、彼らはキリスト教に入信したのであろうか。一見不思議であるが、実はプロテスタントの根本精神は、質素倹約を旨として、自律?自助?勤勉?正直をモットーにする「自己の確立亅を養成するものであった。それは武士道の人格形成と相通じるものがあった。彼らはこのことを理解すると、武家社会が崩壊し「主君」がいなくなった今、その代わりとして「神」という新しい主を得たのである。その相異は、武士道には「神亅と「聖書」がなかったことである。 この点で、岬龍一郎が新渡戸稲造は、 成文化されていない武士道を、「日本人の精神」としてとらえ直し、日本人のための日本人による道徳規範の 書、すなわち「和製聖書」を書こうとしたのではないか、と私は見ている。 と述べているのは正鵠を射ている。というのも新渡戸は、『武士道』を執筆した動機について、第一版の「序」において、次のように書き出しているからである。 約十年前、私はベルギーの法学大家故ド?ラヴレー氏の歓待を受けその許で数日を過ごしたが、ある日の散歩の際、私どもの話題が宗教の問題に向いた。「あなたのお国の学校には宗教教育はない、とおっしゃる のですか」と、この尊敬すべき教授が質問した。「ありません」と私が 答えるや否や、彼は打ち驚いて突然歩を停め、「宗教なし！どうして道德教育を授けるのですか亅と、繰り返し言ったその声を私は容易に忘れえない。 当時新渡戸は、こ